ULTRASEVEN X・ウルトラセブンX(エックス)ファンサイト【セブンナイト】

愛される怪獣を創った人々

ウルトラマンの創造者たちは、夢、希望、未来を象徴するヒーローを 日々の小さな日常からはじまって、その時代の社会問題を取り上げながら、 生命の尊厳や、正義を問いかけてきた。怪獣に投影されたもの、それはいったいなんだったのだろうか!

実相時時雄監督は、『わたしは、消えた風景の空気感が、ウルトラマンであり、怪獣たちだと思っている。とりわけ、怪獣たちは、消えた風景そのものだったと思わずにいられない。 わたしたちは、怪獣にある時代風景を投影してきたのである。』
「ウルトラマンの東京1993年」筑摩書店 実相時時雄  引用

空想の産物といわれた、怪獣たちの存在には人間とともに生きてきた歴史、時代背景があったのだろうか。 怪獣たちはどんなメッセージを我々に伝えたかったのだろうか!

40年間愛された続けた怪獣のデザインを成田 亨、そして造形を担当したのが高山良策だった。 成田が怪獣を生み出し、高山がそれに命を吹き込んでいたのだ。

怪獣は生きている。


下記の内容は2006年ウルトラマンシリーズ40周年に川崎市にある「岡本太郎美術館」(〒214-0032 川崎市多摩区枡形7-1-5)で行われたウルトラマン誕生 40年の奇跡「ウルトラマン伝説展」に展示されていたものを転記 したものである。

岡本太郎(1911-1996年)とは、原色の色彩と勢いのある筆づかいが特徴的をもち、 「生命のしるしを自分に確かめる」ように描き続けた、 その形成過程を紹介するなど、企画展はテーマをもち、 積極的に岡本太郎の世界を伝え続けるのが、この岡本太郎美術館である。

岡本太郎美術館の館長 村田慶之輔氏によれば、ウルトラマンの番組制作者たちは、 宇宙時代を象徴する新たなヒーロー像を打ち出した。 日常の話題や社会問題を問いかけながら、生命の尊厳や正義の意味を問いかけてきた。

そして、成田 亨氏、高山良策氏の参加により、 美術と大衆の新しいつながりを示したという功績を称えて今回の企画をお考えになったようだ。

岡本太郎氏とウルトラマンの関連とえばまっさきに思いつくのが、 成田 亨が、日本万国博覧会(昭和41年大阪で開催)のシンボルとなった岡本太郎の代表作の1つ「太陽の塔」内部の 「生命の樹」のデザインを担当したことであろう。

圧倒されるほどの命の力強さと 極彩色の樹が太陽の塔の内部を上へ上へと貫き、 まわりには生命の進化を表す過程が表現されていた。

「天をあおぐような大きなシンボル「太陽の塔」。 高さが70メートルもあり、その巨大で異様な姿が当時の「怪獣ブーム」 も手伝ってウルトラマン世代にはこの「大阪万博」が強い記憶として残っている。」
NHK「てるてる家族総集編 一部引用」

怪獣に思いを吹き込むのが仕事【高山良策】

【高山良作の世界観】

自然界の生き物のように非情にバランスのとれた美しさに着目。

造形家としての価値は、実在しない怪獣の形態に、バランスのとれた機能性を与え、 グロテスクを廃止し、愛嬌を残すことによって、 よりこどもたちを空想の世界へ飛躍させることになった。

重圧な素材感とデフォルメの中に人間臭さとユーモアを備えた、愛嬌のある愛すべき、怪獣として誕生。


いったん滅びた生き物これは断じて正義ではない。 正義は滅びる道理はない。だから悲しい。

カタチは恐ろしくても、哀しくて、面白くて、愛嬌のある生き物。 自然の存在を主張する権利。

創る時子どものころの心に戻って目をとじて、イメージを描くどうしたら夢の多いものができるか。 背なかのトゲ1つでも、愛情をもって丹念に作らなくては子供が喜んでくれません。


高山良作が、円谷プロの怪獣造形を担当することになったのは、「ウルトラQ」からであるが、1963年よみうりランドの水中バレエ のために制作したタコや亀のぬいぐるみが円谷英二の目に止まったからであった。

週1体のペースで新たな怪獣を制作し続けた高山と成田。高山は、自身の日記に「何をするにも怪獣がついてまわる」と記したという。

高山良作があみだした怪獣造形の方法とは

テレビで、ウルトラマンと対戦する怪獣は、軽さと動きやすさが要求された。そのため、高山が生みだした怪獣造形の方法とは、アクターの寸法を測り、 金網で人形をつくりそれに肉付けをするという高山独自の造形技法だった。 それは、表面的な完成度だけではなく、アクターが演じやすく、安全性も考慮された高山らしい配慮であった。

完成した人型に布やウレタンをかぶせ、その上にラテックス(合成ゴム)を塗りつける。 怪獣によっては人型に水粘土をモデリングして形を起し、ラテックスを形に流し込んで形成する方法も用いる。

怪獣の頭部は、水粘土で原型をつくり、その上に石膏をかけて雌型にする。 石膏の内側にラテックスを何度か重ねて厚くなったら、石膏からはいがして内部に針金や真鍮板をつけて補強する。

ローアングルの撮影も考えて、怪獣の足の裏に指紋を掘り込むなどの念の入れようであったという。 火を吐いたり、水中に出現する怪獣など、脚本によって怪獣の素材も考えなければいけない。

高山の怪獣には画家として、そして映像の世界に生きた創造者としてのプライドと怪獣への深い愛情が込められていたのだ。

怪獣造形 高山良策プロフィール(経歴)

高山良策【たかやま・りょうさく】

1917年【大正6年】3月11日山梨県に生まれる。兄は日本画家の高山無双。
1945年【昭和20年】東宝(株)入社
1951年【昭和26年】東宝を退社し独立、特撮怪獣制作を開始。
1965年【昭和40年】アトリエ・メイにて、「ウルトラQ」の怪獣制作をはじめる。
1966年【昭和41年】ウルトラマンの怪獣制作
1971年【昭和46年】帰ってきたウルトラマンの怪獣制作
1982年【昭和57年】7月27日肝臓癌のため逝去。享年65歳。

怪獣デザイン 成田 亨プロフィール(経歴)

成田 亨【なりた・とおる】

1929年【昭和4年】9月3日神戸に生まれる。生後まもなく青森へ転居。
1954年【昭和29年】武蔵野美術学校【現武蔵野美術大学】を卒業し研究科に進学。東宝映画「ゴジラ」に参加。
1965年【昭和40年】円谷技術プロダクションと契約。
1966年【昭和41年】「ウルトラQ」では特撮美術監督。「ウルトラマン」では、美術総監督となる。
1969年【昭和44年】日本万博博覧会テーマ館「太陽の塔」の内部「生命の樹」をデザイン。
1982年【昭和57年】東京デズニーランド「カリブの海賊」「マーク・トゥウエイ号」などのアートデレクター担当
2002年【平成14年】2月26日脳梗塞のため逝去。享年72歳。

怪獣たちを忘れないでください。・・・いつまでも

怪獣とは空想の産物なのだろうか。ジャミラの名前が、 アルジェリア独立運動で惨殺された少女の名前からとったものであること、

幻の雪山のウーは「Woo」にちなんだこと、 ジラースにウルトラマンが、エリマキをかけてやるときはよくやったなという気持ちであったと当時を振り返るスタッフ。

正体不明の謎の生き物怪獣は、実は、存在するのではないのだろうか・・。
それはわたしたちの心の中に・・。

参考文献 ウルトラマン誕生40周年の奇跡 ウルトラマン伝説展 【小学館】

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